参加者Y.K様(JBCHヒプノ講座を受講して)


無意識の世界を知ることからはじまったこと
これまでの私の物へのとらえ方は「無意識の世界」とは、ボーとしてレベルの低い世界、無意識でやっていたあらゆることへは誰かの咎めのような声が聴こえてきそうで、情けない世界だと思っていた。意識して頑張り続けることが自分にこの世で課せられていることだと思っていた。言葉で「ムイシキ」世界を理解していたとも言える。 
 
私は、自分の意志を尊重しながら、ずっと生きて来たと思っていた。自分の意志を頑固に主張しこだわるのが私の姿だった。母にお世話になったのは、結婚と病気治療へのきっかけぐらいだった(もちろん随分感謝している)。

「心」ってなければいいのに・・・。煩わしいとも思っていた。悲しんだり、悩んだりを切り捨てて生きていきたいとなんとなく思っていた。そんな話題は迷惑とも思えた。
私は、何だか事務所の中で子育てしていたようだった。家にも出勤簿がある感じを持ち続けていた。
みんなの中でなんとなく楽しく過ごせない私、学校ではやりがいをもって元気よく過ごせているのに、ふっとこの子たちからはどう思われているのか考えるとものすごく不安だった。話題が続かないからか。


無意識が行動をコントロールする/想像力はすべてを現実化する/自己暗示ですべてが変わる
私たちには、無意識と意識の2つの自己があり、それぞれ知性があり・・・無意識の知性は記憶力が良く信じやすく素直、で脳を介入することなく体に訴える。器官が実際に良くなったり感じられたりする。また想像力は意志に勝つ。


無意識世界はすごい世界であった。私はこれまで、無意識の知性に気づいていなかった。ただ、想像力「イマジネーション」とは夫がよく使う言葉だなと思い出した。振り返ると以前は自然に良い考えが湧いてきたのに、息子がパニック症になってからは、職場でがんばろう、やらなければいけないと思うほどドキドキ感がでてきて何も考えられなくなった。


悲しいと思ってはいけない、私が頑張らなくてはと思っても、気持ちに何処かで蓋をしようとすると、どこかで倍増して出てきてしまうことに気づいた。感情を捨てた私にも、これこそ無意識の世界がきちんと覚えていてくれた。私の自身のなさは、私の無意識をこれまで受け入れられなかったことにもあるかもしれないと思えてきた。そう考えると、私はいつも仕事や(意識した知性をつくる)勉強に逃げていたけど、いろいろな時々、解決はなくても、自分から話し合ったり触れ合ったりしていれば、悲しさや怒りからも何かを気づけていたのかもしれないと思う。少なくとも私の心を人に伝えていくことはできたし、周りの人や亡くなった義母にとっても気持ちを通わし、安心できる人間味のある人、嫁になれたのではないかと思う。


実は、無意識の世界は、自分の心の中のものであったということがわかった。しかも、無意識の世界は本来の私を見せてくれた。これでいいよ、いいんだよと。
若い頃「大丈夫、大丈夫」って自己暗示をかけて何でもやっていた気がする。結婚して主人に頼り、決断を人任せにして、自分と会話するのを逃げていた。自分ではどうすることもできないと固く信じていたのだ。意志は確かに想像力には勝てなかった。これで上手く行くはずと信じていた頃は良かったけれど、不信感から徐々に心が落ち込んでいったことを思い出した。それからは何となく自分の思いで動き出していろいろなことが起こった。「人間の無意識(の自己暗示)が多くの病の源であるなら、心身の病を治癒させるのも無意識です」


「物事に、たくましく意思決定できる、成長した私がいるぞ!」
これは、先日の学習会で先生とつくった私の自己暗示文だ。その時は実感がわかなかったが、思い出しては繰り返すうちに、「私がいるぞ」が「私になるぞ」では、想像の世界に入れないし、「たくましく」は自由にのびのび考えるために私には必要だと思う。「意思決定」は物事を決断実行せず、先送りしたい私にはピッタリの文だ。朝だけでなく車を運転するときや気づくと一区切りごとに思い出して何度も唱えている。行動が素早くなった気がして、いろんなことが無理なく気負いなくこなせるようになった。

 
連休中、息子や娘に接するとき、かなり有効な気がして、自分ってこんなに人のためにやれて、疲れないんだとびっくりした。確かに私の中の無意識の部分に働きかけていると思う。特に、次の言葉は名言だと納得した。
①意識と想像がぶつかるときは、想像が常に意志に勝つ。
②意志と想像がぶつかるときは想像力の力は意志の2乗に値する。
③意志と想像が一致するときは意思は負けるどころか想像によって倍化される。
心の中の「どうしよう、どうしよう」が消えた気がした。すばらしい治療だと思った。息子にもこれがいいと思った。
今後、この勉強を続けると新しい世界や大きな気付きが湧いてくる気がしてならない。
まだ準備がはじまったばかりだ。粘り強く続けて行こうと思う。